氣というエネルギーについて

レイキ・ヒーリングは、「世界で一番メジャーなエネルギー・ヒーリング」です。

では、エネルギー(氣)って何でしょうか?

 

靈氣を使っていると、「氣」というものが確かに存在するということを身をもって実感することができます。

 

「氣」という目に見えないエネルギーは実際に存在し、繰り返し再発見されながら、国やジャンルによって様々な名前で呼ばれ、様々な特徴が理解されています。

 

代表的には、たとえばヨガの世界では、「プラナ」という名で、呼吸と共に取り込まれる、ということになっています。

 

中国では「氣(qi)」と呼ばれ、身体の「経絡」というルートを循環し食べ物で調整されるもの、そして「気功」という形で、修練により操ることができるもの。とされています。

 

私の考えでは、レイキも含めこれらすべてのエネルギーは”もともと同じもの”だと思っています。この、もともとのエネルギーはとても自由なエネルギーで、「どのような定義で使うか」という使い手の定義によってその形を変えて、私たちに使わせてくれるのではないでしょうか。

 

かつて世界中で、精神世界の修業をして悟りを開いた聖者によって、このようなエネルギーの存在は繰り返し再発見され、それぞれに取り込む方法や活用方法が定義されて、後世の私たちに受け継がれてきたのではないでしょうか。

それが、特定のポーズをとって呼吸と共に取り込む方法であったり、瞑想であったり、特定の修業方法であったり、レイキのように靈授(アチューメント)であったり、したのだったのではないでしょうか。

 

逆に言うと、どのような定義で使うかによって、このエネルギーはいくらでも形をかえてくれると言えると思います。

 

もしそうなのであれば、より自由で、よりダイナミックで、より便利な定義で使うほど、私たちのメリットは大きい、ということになりますね。

 

靈氣の定義

そういった意味では、レイキの素晴らしさはその「定義」にあります。

臼井先生が確立した靈氣の定義は、概ね以下の通りです。

 

・手から放射される自然な氣(宇宙から降り注ぐエネルギー)

・誰にでもできる、本来の人間の能力のひとつである

・本来の能力なので修業は必要なく、靈授を受けることにより使えるようになる

・どこにでもある

・無尽蔵である

・純粋なエネルギーなので使い手の意図を加えることができない

(治れ!や、あそこをこうする、などの意図を加えられない)

・送り手の意図ではなく、受け手の身体が勝手に使うもの

・自分の体内で作り出しているエネルギーではないので、使っても疲れない

・使えば使うほどよい

 

気功のように、「使うと疲れる」「修行が必要」というものではなく、

誰にでもできて、まったく疲れない。そして無尽蔵なエネルギー。

 

それが、靈氣です。

 

氣は本当にあるの?

 もしあなたが、エネルギーの存在そのものを疑うのであれば、

こんな風に考えてみてください。

 

どうして誰かの一言ですっかり元気がなくなったり

逆に、とっても元気になったりするのでしょうか?

 

熟練の職人が本気で作ったものが、人の心を惹きつけるのはなぜでしょうか。

 

心の籠ったお料理で、お腹だけではなく気持ちまで満たされるのはなぜでしょうか。

 

よく手入れの行き届いた場所が居心地いいのはなぜでしょうか。

 

大きな樹のある場所が安心するのはなぜでしょうか。

 

私たちは知らず知らずのうちに周囲のエネルギーを感知し、五感や感情を通して周りのあらゆるものとエネルギーのやりとりをしている、という風に言うこともできるのではないでしょうか。

 


靈氣に限らず、この「氣」という存在を、確かなものとして感じていくことは、日常生活に新たな価値観を与え、より豊かな毎日を送るきっかけになります。

 

ご興味がございましたら、ぜひ一度、靈氣のヒーリングやアチューメントで、この「氣」の実在を実感して下さい。